Category: ホイッスラー

ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834年-1903年:享年69歳)
 
19世紀後半のアメリカ人の画家、版画家。おもにロンドンで活動した。印象派の画家たちと同世代であるが、その色調や画面構成などには浮世絵をはじめとする日本美術の影響が濃く、印象派とも伝統的アカデミズムとも一線を画した独自の絵画世界を展開した。耽美主義の代表的画家とも目されるホイッスラーの絵画は、現実世界を二次元平面に再現することよりも、色彩と形態の組み合わせによって調和のとれた画面を構成することを重視していた。作品の題名に「シンフォニー」「ノクターン」「アレンジメント」などの音楽用語を多用することも、絵画は現実世界の再現ではなく、色彩と形態から成る自律的な芸術だとする彼の姿勢の反映といえよう。こうした彼の絵画に対する考えは、印象派やセザンヌなどに通じるものだが、ホイッスラーの用いる色彩は地味で、モノトーンに近い作品も多く、光と色彩の効果を追い求めた印象派の作風とは一線を画している。イギリスでは1862年ロンドン万国博覧会以来、日本の美術工芸品が紹介されており、上述のようなホイッスラーの作風にも浮世絵などの日本美術の影響が指摘されている。64年にはジャポニスムによる作品を試み、日本の落款のような蝶のサインを使った。68年になると浮世絵の意匠を借用した『肌色(はだいろ)と緑のバリエーション=バルコニー』を制作。ホイッスラーの代表作の1つである『青と金のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ』は、ロンドンのテムズ川に架かる平凡な橋を描いたものだが、橋全体のごく一部を下から見上げるように描いた風変わりな構図、単色に近い色彩、水墨画のような、にじんだ輪郭線などに日本美術の影響が感じられる。1877年にロンドンのグローヴナー・ギャラリーにホイッスラーが出品した『黒と金色のノクターン-落下する花火』は、ほとんど抽象絵画を思わせるまでに単純化された作品であった。同時代の批評家で、ラファエル前派などの新しい芸術運動の理解者であったジョン・ラスキンもこの作品は理解ができず、「まるで絵具壷の中味をぶちまけたようだ」と酷評した。このため、ホイッスラーは名誉毀損でラスキンを訴えるに至る。ホイッスラーは訴訟に勝ちはしたものの、多額の訴訟費用を支払うために自邸を売却するはめになった。